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2017/03/02 高2で南米チリに1年間留学 大学は、AIU それとも APU ?

今月は、Runaさん(高3)のインタビューを紹介します。るなさんは昨年は1年間、南米チリに留学してきました。英語が得意になり、英語圏ではない国にも臆せず飛び込めるようになったのはニッセイトでの学習体験があったからこそと語ってくれました。

 

2017-0303

(るなさん:R 、お母さん:M と表記)
–ニッセイトへの入学は何才でしたか?
M: 2才です。まだ日本語もおぼつかない頃でした。でもそこに意味があったと思います。

 

–なぜ、英語を習わせたいと思われたのですか?
M: 私も大学生の頃、1か月ほどオーストラリアにホームステイしたことがあるんです。異文化に触れたに過ぎず、いまだに話せません。主人も仕事で海外に行くことがあるんですが、どんなに良い案件があっても全てを自分で伝えられず、会議でも通訳を通すとニュアンスも変わり、はがゆい思いをしたようです。それで娘には英語が障害になって欲しくないとの思いが強く、2才になった頃から英会話スクールを徹底的に探しました。7教室以上は体験レッスンを受けに行ったと思います。

 

–ニッセイトは何が良かったのですか?
M: ニッセイトはとにかくテンポが良かったです。日本人のコーディネーターが入っているから無駄がないんですね。よそにも日本人が入っているスクールはあったけど、ただいるだけみたいな…。それにニッセイトはいろいろな行事があり、とても魅力的でした。その準備や運営はさぞ大変だったろうと思います。でも、数々のイベントのおかげで子供たちと外国人講師との距離が縮まったと思います。
R: クリスマスの劇はすごく楽しかったです。
M: 劇の発表はバカにできませんよね。自分のセリフを声に出して何度も何度も言う。そして体が難しい英語を覚えちゃうんですよね。子供たちも同士もすごく仲良くなり、ママ同士も親しくなりました。いまだに当時のママ友とつながっています。
よその英会話スクールは、本当に先生がよく変わるという話を聞きました。ニッセイトも途中で先生交代があったけど、カリキュラムがしっかり押さえられていて、それにサポートがしっかりしていたので不安はありませんでした。他のスクールに通っていたお友だちは英会話を始めて2、3年で辞めちゃう人が多かったんですね。「どうして?」って聞くと、「だって何年やってても『ハローとグッバイ』しか言えないんだもん」といった答えが返ってきました。ニッセイトは遠くて電車で通わなくてはならなかったので確かに大変でしたが、その価値はありました。でも当時は、「日本語もしゃべれないのに、電車に乗ってまで英会話レッスンに連れて行くなんて…」と思われていたと思います。大学入試の英語で苦労して、「あの時、Runaちゃんと一緒に英語に通っておけば良かった」と聞くと「そうでしょう!(笑)」と嬉しくなってしまいます。

 

2017-0305–南米チリでの留学体験談を聞かせてください。
R: はい。AFSのプログラムで行ってきました。

 

–なぜ英語圏ではなく、スペイン語圏のチリを選んだのですか?
R: 中学の時に夏休みの3週間、オーストラリアへホームステイしたことがあるんです。でもオーストラリアの生活は想像通りで、言葉も通じるし、あまり苦労がなかったんです。どうせ1年間も留学するなら、もっと大変な国に行って刺激をいっぱい受けたいと思いました。その方が自分の成長になると思いました。それにスペイン語は世界で2番目に多くの国で使われている言語なんです。
M: 私も最初はチリ?と思いましたが、よくよく調べてみると治安レベルが比較的高く、教育レベルも高いんですね。

 

–スペイン語は学習したことがあったのですか?
R: いいえ。全く初めてです。

 

–全く言葉が分からないのに、高校の授業を受けることに不安はありませんでしか?
R: なかったです。行ったらどうにかなると思っていました(笑)。
M: Runaは本当に人と関わることが好きなんです。私は子供を見ていて改めて思いました。言葉の習得は「お友だちと遊びたい、お友だちとしゃべりたい」と強く思っている子の方が上達が早いんだな、と。実際に事前にすごく準備をしてチリに行った生徒さんよりRunaの方が、スペイン語は上達していたようです。
R: 最初は言葉が通じないで悔しい思いをいっぱいしました。言葉が通じないと仲間に入れてもらえないんです。だから必死で努力しました。そして、自分から話しかけていくと徐々に受け入れてもらえるようになりました。チリでの学校生活は確かに大変だったけど、いつも友だちが助けてくれました。スペイン語はすべて友だちが教えてくれました。
M: Runaは友だちが多くて、いろんなところに連れて行ってもらったようです。
R: 私が乗馬したいといったら、お友だちに「お婆ちゃん家でできるよ」って言われて1人でその家に泊まってきたこともあります。

 

–それはすごい(笑)。学校での授業についていけるようになったのはどのくらい経ってからですか?
R: 半年以上経ってからです。帰国時にはだいぶ言いたいことも話せて理解できるようになりました。

 

–素晴らしい。留学費用としてはどのくらいかかりましたか?
M: AFSのプログラム代金(現地までの飛行機代金含む)として130万円でした。AFSはボランティアの学校とホストファミリーに支えられているので比較的に低額だと思います。ただ、予防接種など準備金には結構な金額がかかりました。

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–大学選びはどのように考えたのですか?
R: 大学の在学中に英語をスキルアップさせて、また留学をしたいと考えています。秋田国際教養大学(AIU)か大分にある立命館アジア太平洋大学(APU)かで悩みました。

 

–なぜAPUにしたのですか?
M: 日本で、学部ではなく大学として英語で授業を行っているのはAIUとAPUの2校だけなんですね。APUは学生の半分以上が海外から4年間勉強に来ている国際学生で、「グローバル化に熱心な大学ランキング」でも一位でした(日経ビジネス紙)。就職率も非常に高く、企業からも引っ張りだこだと聞いています。
R: またAPUには、テキサス州にある大学に2年間留学して共同学位が取れるプログラムがあるんです。それに行きたくてAPUに絞りました。
M: その留学の学費も1,000万円くらいかかるのですが、全部大学負担なんですよ。

 

–それは嬉しいですね。APUにはどんな入学試験で合格されたのですか?
M: 高2で留学していたので一般入試は難しいと考えました。ですからAO入試の「英語重視方式」とチリでの留学経験があったので「活動実績」いう募集枠にダブルで挑戦しました。どちらも英語のエッセイと面接があるのですが、それについてはある程度自信がありました。

 

–英語試験の目安はどのくらいの基準ですか?
M: 募集要項にはTOEIC610点以上とありました。Runaは、TOEICは810点でしたから大丈夫かなって思えましたが、当然上の優秀者から合格していくので安心はできませんでしたけど。結果的には両方の枠で合格通知をいただきました。それに、AP House といって海外の留学生と一緒に過ごす学生寮にも入れることになりました。

 

–Runaちゃん、本当にたくましく育ちましたね。
M: すべてはニッセイトから始まっているんです。ニッセイトでの英語との出会いがあったらから今のRunaがあります。私もまだRunaが小さい時は不安な部分もありましたが、今は本当に良かったと思っています。

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編集後記

 

2015年にはブラジルに1年間高校留学をした生徒さんがいます。言語はポルトガル語ですが、学校での成績はほとんどA評価。現在は、イタリアに1年間高校留学している生徒さんもいます。英語を習うという事は知識だけではありません。ニッセイトで小さいうちから英語に親しみ、グローバル社会の中で生きるたくましさを養っている生徒さんたちが増えていることをとても嬉しく思います。

 

 

※AOとは、アドミッションズ・オフィスの略で、大学側が求める学生像(アドミッション・ポリシー)に合っているかどうかや、学びへの意欲や関心、適性を重視して選考する入試。 選抜方法は大学ごとに異なりますが、いずれも強い志望動機が必要です。 選抜方法は大学ごとに異なりますが、大きく分けて面接重視型と論文重視型があります。

2016/10/17 酒井冬樹さん

酒井冬樹

株式会社電通 営業部勤務 40才

 

[1995年]
新卒で広告会社「株式会社東急エージェンシー」に就職。
主に、大手流通や大手飲料メーカーの広告・販促担当営業として従事。

 

[2003年]
フランスを母体とする外資系広告会社「Beacon Communications K.K.」に転職。
外資系損害保険会社や、Global企業のAccount担当(営業)として従事。
同社在籍中は、Businessの基本言語が英語だった為、主に英語での打ち合わせや資料作成を行う。

 

[2006年]
大手広告会社「株式会社電通」に転職。
現在に至るまで、外資系の生命保険会社のマーケティング業務に従事する他、新規Clientの獲得業務や、マーケティング全般サポートを行っている。

 

◆ニッセイトの入学は何才だったか覚えてますか?
3才でした。

 

◆入学動機は?
その当時の家の隣の部屋が、ニッセイトだったもので(笑)

 

◆いつまで通っていました?
高校生までです。

 

◆ニッセイトではどんなことが楽しかったですか?
【幼少期】
記憶も定かではないですが、単純に「遊びに行く」というくらいの楽しさだったと思います。

 

【小学生時代】
今でも記憶しておりますが、先生に「Pretty」の発音が良い!とほめられた事です。子供心に「なんか僕、できてるのかも~?」と幼少期に思わせた事は事実です。
この時期は、「あ!英語って楽しい!」と思う事こそが、一番大事な事だと、今になって思います。褒められることで、もっと知りたいという知的好奇心が育つのだと思います。
また、サマーキャンプで、他の国の人達と触れ合った事は、非常に楽しく貴重な財産になっています。言葉や肌の色が違う人がいる。伝える努力をすれば、片言英語でも通じ合えるという事。この体験は、この小学校時代に培われました。
(*補足:当時、外国人の人と触れ合えるのは、こういったイベントだけでした。)

 

【ニッセイト代表からひとこと】
私が最初に冬樹君を担当した時は小学2年生でした。毎週テキストのダイアローグをテープと同じように言えるよう宿題に出していたのですが、冬樹君は素晴らしかった。発音、イントネーションがテープそっくりでいつも感心していました。冬樹君を見ていて、「日本人でも小さいうちからたくさん音を聞いて練習をたくさんすれば、ネイティブ並みに発音することは可能だ」と確信しました。

 

◆中学、高校での思い出は?
【中学~高校時代】通常の授業もさることながら、英語のワークショップ的に「ドラマ(演劇)」を通じて、英語を学んだ事は、一生忘れ得ない貴重な経験になりました。ドラマのセリフの場合、極端に言えば、その言葉の意味が分からない状態で、丸暗記して、話しているうちに「その言葉の文法的な意味」ではなく「その言葉の響きや繋がりが持つ本質的な言葉の“意味”」を、丸暗記して、その感情を乗せてゆく事で、結果、通り一辺倒でその言葉を覚えるよりも、“生きた言葉”としての英語を、学べたのだと思います。

 

◆ニッセイトで習ったこと、体験したことは、その後どんなふうに役立っていますか?
今の職場の前に外資系の広告企業にいたのですが、ニッセイトで学んだ日本人でない人達とのコミュニケーションの取り方は非常に役に立っています。仕事以外では全く外国にも行った事もない私がスムーズに溶け込めたのは、ニッセイトでの経験があったからこそです。
現在は、クライアントが外資の会社もある為、資料等の重要書類は全て「英語」資料の為、日々英語に接しております。ただ、ビジネス英語は、習ってきた通常会話英語とは異なる為、日々勉強し続なくてはならないと自戒の念を込めて思っております。

 

◆会社で現在のポジションにおいて、どの程度の英語力が求められていますか?
今やボーダーレスになっているビジネス環境においては、英語のスキルは必須です。TOEICでいえば最低800点のスキルは求められるところです。

 

◆これからの社会の中で英語の必要性をどのように感じていますか? 
「英語を話せる、英語が書ける」という事はもちろんなのですが、他の民族・宗教・国の人間と、意思疎通を行えるある意味「唯一の共通の言語」なので、「学ぶ英語」でなく「他人との意思疎通を図る手段」としての英語が、今後、更に求められる事になると思います。

 

◆これからの小学生、中学生、高校生にはどんな英語力が求められていると思いますか?
私の世代と比べても、世界が確実に広がっている(SNS等含めて)今の時代においては、理想としては、幼少期から自然に(日本語と共に)接する事で、「相手に臆しない」「相手の立場に立って、話せる」「自分の立場を相手に齟齬なく伝えられる」為に英語を学ぶ事は(“学ぶ”というより、“肌で感じる”という事ですかね?)今の学生さんが10年後20年後に社会に出る際に、私の世代よりも、より大きく深く求められる事になるかと思います。
もちろん英語に限りませんが、他の民族・国民と、最大公約数で接点の取れるのは「英語」です。英語を皮切りに、日本語でない、他の言語を学び、他の人達とコミュニケーションをとる事で、「他国を知る」「日本を知ってもらう」という両方を進めていって頂ければと思います。
いろいろ今の時代、他国との齟齬(そご)はありますが、まずはコミュニケーションを取り、自分の意見が言えなければ、誤解を生んだり、置いてゆかれる時代になってゆくのではないでしょうか。

 

◆ありがとうございました。
ニッセイトで習ったこと、体験したことがとても役立っているようで嬉しい限りです。これからもなお一層の活躍を期待しております。

2016/10/17 中井悠登さん

中井悠登

東京外国語大学2年 19才

 

◆ニッセイトの入学時期はいつ頃でした?
小学2年生の時です。

 

◆入学動機は?
もともとは年少の時から他の所で英語を習っていたんですが、雰囲気が合わなくて、ニッセイトに見学に行きました。とても雰囲気が良く、楽しそうだったので決めました。

 

◆何年通っていましたか?
小学2年生~高校2年生まで。途中受験をしたので、数ヶ月休みましたが、約9年間通いました。

 

◆ニッセイトに通っていた時は、何が楽しかったですか?
小学生の時は、デイトリップやクリスマスなどの催しが好きでした。中学生、高校生のときは、特別な催しよりも、むしろ普段の授業で英語を使って、先生と話すことが楽しかったです。

 

◆ニッセイトで習ったこと、体験したことは、その後どんなふうに役立っていますか?
もちろん英語のテストや英検等の点数が良くなったということもありますが、それ以上に英語を英語で考えることができるようになったことが良かったです。日本語に訳さず英語を英語のまま理解することは、速読やリスニングをする際にとても役立ちました。

 

◆現在、「英語」にはどのように接し、役立てている?
大学の授業によっては教科書が英語なので、そこで英文に触れています。また僕の通っている大学は、外国人留学生が多く、英語を話す機会がとても多いです。

 

◆ニッセイトで英語を習ってきて一番良かったと思われることは何ですか?
英語を英語で考えられるようになったことと、ネイティブスピーカーの先生と生きた英語を使って会話することができたので、日本人にはない、いろいろなものの考え方を学ぶことができたことが大きかったです。またニッセイトでは、英語圏の文化に触れる催しも多いので(ハロウィーンパーティ、イースター等)、英語圏の価値観に触れることができました。

 

◆これからの小学生、中学生、高校生にどんなアドバイスをしたいですか?
英語にたくさん触れて、英語に親しみをもてるようになれたらいいと思います。英語を使って、外国の方と話をしたり、文化に触れることは、とても楽しいので、その楽しさを感じて欲しいと思います。

2016/10/17 田中希果さん

田中希果

グラフィックデザイナー
アートディレクター

 

【プロフィール】
アメリカのアートスクールを卒業後、グラフィックデザイナーとして大手企業のロゴや広告を手がける。近年はハワイでのブランディングも行うなど、海外にも活躍の場を広げている。

 

[プルメリア・ユニバーシティ代表]
初めて訪れたハワイでプルメリアに出会い、魅了されたことをきっかけに「プルメリア・ユニバーシティ」を立ち上げる。
プルメリアを日本国内で普及・研究するグループの代表として、365日プルメリアを楽しんでいる。近年はハワイのノースショアにある世界的に著名なプルメリア農場に通い知識を深めている。

 

[著書]
『ハワイアン・プルメリア』Grow with Aloha!(文踊社)2009年 / 『プルメリア・ブック』プルメリアの育て方・楽しみ方(マリン企画)2011年

 

◆入学時期は覚えていますか?
小学4年生だったと思います。

 

◆入学動機は何でした?
自宅の近所に住んでいたニッセイトの先生が英語のストーリーのテープを聞かせてくれたのがきっかけでした。アリが出てくる物語で「Left….Right….Left….Right….」とアリが行進する場面の音声をいまだに鮮明に覚えています。その時はじめて英語の音に興味を持ち、習いはじめました。

 

◆何年くらい通っていました?
小学4年生~高校卒業まで。学校の部活動のように生活の一部になっていたように思います。

 

◆高校卒業から現在に至るまでの軌跡は?
高校を卒業して、アメリカのジョージア州の私立の大学に行きました。学費が高かったのでユタ州の州立大学へ編入し、最後の1年間はまたジョージア州に戻ってきてアートスクールへ行きB.A(4年生の学士・グラフィックデザイン学科専攻)をとって卒業してきました。
その後半年間、アトランタにあるアメリカ陸軍のマーケティング部門でデザイナーとして働いて、日本へ戻ってきました。(そのまま同じ場所で働く事も出来ましたが、一応父親との約束「1.卒業したら一度は日本へ戻る。2.青い目のボーイフレンドを連れて帰ってこない」を守ってみました。)
日本へ帰ってきてからは、しばらくフリーランスのグラフィックデザイナーとして働いていました。(日本のシステムを全く理解していなかったので、日本の新卒採用の時期を逃し、やむを得ずそうなりました。)その後、広告代理店で働く友人(ニッセイトで出会った友人です)に相談をして(ラッキーな事に)広告代理店のアートディレクターという仕事を4年間させて頂く機会に恵まれ多くの経験をさせていただきました。

 

◆ニッセイトで習ったことは、その後どんなふうに役立っていますか?
まず、英語に関しては耳が良く鍛えられていると感じます。私だけではなく、ニッセイトに通っていた友人は皆「発音がいいね」とほめられるようです。
意味は分からなくても大抵は聞き取れたので、その後の英語学習の習得にとても役立ったと感じています。
通常の授業以外にもイベントがいっぱいあったので、コミュニケーションの訓練になっていたと思います。サマーキャンプでは、はじめ友達もいないので不安ですが、数日間一緒に寝泊まりしているうちに最後の日には沢山の友人が出来ています。
このような経験から、あまり人との関わりに臆病にならず、人見知りもありません。

 

◆現在、「英語」にはどのように接していますか?
外資系企業と仕事をする際にたまに役立っています。外資系企業で働く人たちも英語が出来るので、海外とインターネットを通じた会議なども違和感なく一緒に仕事が出来る事も利点です。
趣味でプルメリアという熱帯のお花を研究していますが、それがきっかけでハワイに行く事が多くなりました。現地でも言葉のストレスがなくコミュニケーションをとれる事はとても良い事だと感じます。今、英語を良く使っているので学生の時より上手になっている様な気がします。メールのやりとりも多いので、知らない単語をいつも調べています。言葉は常に勉強ですね。

 

◆ニッセイトで英語を習ってきて一番良かったと思われることは?
ずっと英語に苦手意識を持つ事なく、好きでいられた事だと思います。

 

◆これからの社会の中で英語の必要性をどのように感じていますか?
これからは仕事があれば日本も海外も垣根がなくなると思うので、コミュニケーションの道具として持っていた方が選択肢に広がりができると思います。

 

受験の事をなどを考えると学生のうちにしっかりと英語を勉強した方が良いですよ!と言うべき所ですが、大人になった私が思うのは、英語はただの言語です。たとえ英語が話せたとしても「話したい事」がないと言葉は出てきません。若い人たちには興味を持てる何かを見つけてほしいと願っています。もし夢中になれる何かを見つけられたらそれだけで幸せですし、その事を突き詰めると大抵の場合、日本だけではなく海外に目を向ける事になるでしょう。そんな時、英語(もしかしたら他の言語かもしれませんが)を覚えないと!と実感し、必死で習得します(笑)

 

◆貴重なお話、ありがとうございました。

2016/10/17 柏崎正雄さん

柏崎正雄

公益財団法人エイズ予防財団勤務 39才

 

中学生になってアメリカのヒット曲や映画にハマって、英語の情報を理解できたらいいなー、と思っていました。そこで、すでに通っていて、英語もすごくできていた幼馴染みの友だちにお願いして、浦和教室に連れて行ってもらったのが、ニッセイトとの出会いでした。
マドンナのヒット曲「Material Girl」の歌詞が書かれた紙が、何行かずつバラバラになっていて、その曲を聴きながら揃えていくというレッスンがとても楽しくて、すぐに親に懇願して、通うようになりました。書道もスイミングも塾も、自分から行きたいなんて言ったことはなかったのに。

 

大人になるまで、「英語が楽しい!」と思えてこれたのは、そんな良い入口があったからだと思います。

 

ニッセイトでは、英語を「勉強する」という感覚はあまりなかったですね。
英語を「楽しむ」という感じでした。
教材で学ぶことよりも、先生たちと「とにかく話したい」と思う気持ちが強かったです。学校や家であったことを、ニッセイトで「英語で」話すのが楽しくて、まるで自分にとっての第3の居場所みたいでした。

 

ちょっとビクビクしながらも参加した、ニッセイトの英語ミュージカルでの経験もとても役に立っています。最初はどんな意味かもわからず覚えるだけの台詞だったのが、いつの間にか人の台詞まで理解できるようになっていくんです。そして、「話したい」という気持ちがあれば、そっと口から何かしらの英語が出てくる。そういうスキルも学べた気がします。

 

今の仕事では、国際会議での発表や進行、要人とのお食事会といった場で英語を使う機会があります。ニッセイトで心地良いシャワーのように浴びた英語のチカラが、いまも十分役に立っています。

2016/10/17 佐々木慎吾さん

佐々木慎吾

自動車関連会社経営、役員 41才

 

ここ数年ゴールデンウィークになると、友人がフランスのストラスブールから日本にやって来る。彼は31歳のフランス人。日本語は全く話せない。私もフランス語は全く話せない。二人の共通言語は英語だ。
私は彼と、かなり深い話をする。ビジネス、政治、趣味の話。時々、意思疎通に時間がかかる時もあるが、言い回しを変えると理解ができる。今や彼は親友のうちの一人である。30年前の私はまさかフランス人と親友になるなど想像もしていなかった。

 

今から約30年前、私が10歳の時である。私の家に訪問販売らしき男性がやってきた。母が話を聞くと駅前に新しくオープンした英語教室「ニッセイト」の先生であると言う。私は英語が何なのかよく分からないまま、玄関先でその先生が始めた英語カルタに興じた。動物や果物の絵とその英語名がアルファベットで書かれたシンプルなカルタだ。

 

この日を境に私は英語を勉強することの楽しさを知った。
他の習い事は、3回に1回はお腹が痛くなっていたが、ニッセイトは違った。
行けば必ず、知的好奇心をくすぐる何かが待っていた。
子供の時は、その日習った単語は一瞬にして脳に吸い込まれていった。
聞いた単語は全部覚えられた。そしてそれが楽しくて仕方がなかった。
文法の勉強も楽しかった。日本語とは全く違う文章の構成に最初は苦しんだが、この勉強は私の論理的思考を育てるのに大いに役に立った。

 

中学生になると先生が授業中に洋楽を聴かせてくれるようになった。
サイモン&ガーファンクルやビリー・ジョエル。
歌詞の意味は良く分からなかったが音楽に合わせて英語を発音することがとても楽しかった。ある時先生がWe are the worldのビデオを見せてくれた。泣きそうなほどの感動をしたことを今でもはっきり覚えている。音楽だけではなく、授業中に映画も見た。その頃からアメリカの映画がとても好きになり、30歳を目前にハリウッド映画会社の日本支社に転職した。

 

高校生になると、先生にアメリカにホームステイしてみないかと言われた。
子供の頃から全てのことに物怖じする私はその提案を最初は断った。
アメリカに1ヶ月も行き、しかも知らない人の家に泊まるなんて想像しただけでも恐ろしかった。しかし、先生の度重なる説得に気持ちが傾き1ヶ月のアメリカ行きを決心した。15歳。1987年の夏、それが私の人生を大きく変えたと断言できる。この経験は私を大きく成長させた。スイッチが入ったとか、脳が覚醒したとかそんな感じだ。

 

大学生になるとニッセイトの英語ミュージカルの大道具の手伝いに何度か行った。
そこで18歳のアメリカ人と知り合った。彼とは今でも付き合いがあるが、彼を通してアメリカの文化とアメリカ人の考え方を知るようになった。彼は後に日本でスポンジボブというアニメを流行らせ、いまはニューヨークに帰り、WWEというプロレスエンターテインメント企業のCOOというポストにいる。彼の活躍が、私のモチベーションを大いに高めてくれる。

 

私には外国人に対するアレルギーが全くない。
その特性を発揮して、これまでも様々な国の人々と楽しい思い出を作ってきた。
アメリカ人はもちろんのこと、プエルトリコ人、パラグアイ人、ロシア人、オーストラリア人、香港人、ラトビア人、スリランカ人そしてフランス人。共通言語はもちろん英語である。
上手に話す必要なんてないし、話せない。
ゆっくりで良いから自分の考えていることを英語で伝え、相手の言ってることを理解する。そして冗談を言い合い笑う。それで日本を好きになってもらえたら最高だ。
私はよく彼らを家に招いて、お互いの国の料理を作って楽しむ。
私の妻は全く英語を話せないが、一緒に料理をすることで、コミュニケーションを図る。そんな簡単なことが、人生をとても豊かにしてくれる。人生を豊かにするのに大金なんていらないのかもしれない。いい大学に入る、いい会社に入る、それも大事かもしれないが、日本に居ながら、英語を通して世界と繋がるということも、人生を豊かにするひとつの方法なのかもしれない。

2016/10/17 馬田千登里(旧姓渡辺)

Chidori

主婦

 

 ニッセイトへの入学は小学校4年生ごろ、仲のいいお友達が通っていたので、当時あった霞ヶ関校へ通い始めました。
途中、川越校に移動してトータル8年くらい通いました。
高校卒業後は大学の英米文学科に進み、卒業後銀行に就職、結婚とともに退職し、今は主人の仕事の関係でロンドンに在住しています。

 

 小学校5年ときに、参加したミュージカルはとても楽しかったです。普段は会えない他校の生徒の人に会えたり、オール英語のミュージカルなので新しいフレーズを覚えられたり、本格的な発音のレッスンを受けたり、様々な経験をすることができました。そのおかげでミュージカルが大好きになり、日本にいた頃は劇団四季のミュージカルをよく観に行ってました。ロンドンでもミュージカルはたくさん公演されているのですが、子供がいて観に行けないのが残念です。

 

 中学、高校のときはあまりイベントに参加した記憶はないのですが、毎年行われる、イースター、ハロウィン、クリスマスの行事を楽しみにしていました。ハロウィンでは毎年先生方が凝った仮装をされているし、小学生の生徒の仮装も毎年可愛いものが多く、それを見て投票するにが楽しみでした。また、別の高校に通うことになった友達と会えるのも楽しみでした。

 

 ニッセイトに通っていたおかげで、英語が好きになり外国の人と接するのに抵抗がなくなりました。
正直、英語の成績が特別良かった訳ではありません。しかし、大学でも英文科を選択したのは英語が楽しいし、好きだという感覚があったからです。その感覚はニッセイトで培われたものだと思っています。

 

 主人のロンドン転勤にも抵抗は感じませんでした。ただ、大学卒業から約10年、英語を使わない生活をしていたので、不安も感じていました。しかし実際に生活してみると意外と英語が聞き取れていることにビックリしました。日常生活ではヒアリングにそんなに苦労せずに済んでいると思います。ビートルズの曲を聞いて歌詞の穴埋めをしたりして勉強したことが身についているんだなぁと実感しました。

 

 外国の人はとてもフレンドリーで目が合えば、見知らぬ人でも挨拶するし、気軽に話しかけてきます。こちらの拙い英語もちゃんと聞いてくれるし、意味のわからない言葉は噛み砕いて説明してくれます。英語が母国語ではない人が多いので、こちらが思ってるほど、英語ができないことを気にしてないのです。私は英語は慣れだと思っているので、今の環境は恵まれていると感じています。英語が慣れだというのもニッセイトでの土台があった上だからこそ言えることですが、拙くても自信がなくてもどんどん話していくことが大事だと思っています。子どもの学校が始まるのでもう少し勉強しなければいけませんが。。。

 

 ニッセイトは少人数性なので、1人1人にあった授業を受けられると思います。また、先生と生徒の距離が近いのも魅力です。授業では聞けなかったこと、授業ではやらなかったことまで気兼ねなく質問できます。授業以外でもネイティブの先生と会話ができるのもいい環境だと思います。

 

 今は海外に進出している企業も多くなっていますし、会社内の公用語を英語にしている会社も増えています。これからは英語を話せて当たり前、第二外国語も話せるようにするという社会になりそうです。

 

 文法も大事ですが、是非、writing,speaking重視の勉強をして欲しいと思います。自分から発信できるということは体にインプットされているということだからです。知識を体に溜め込んで、発信できる練習をしていけたらいいと思います。間違うことを恐れずにチャレンジしていってください。

 

2016/10/17 馬場真理子(旧姓深谷)

主婦

 

ニッセイトには小2~高3まで通っていました。
低学年からニッセイトに通って良かったことは、間違えたら恥ずかしいとか、通じなかったらどうしよう...とか考えるようになる前に、単純に「話せると楽しい」という気持ちを経験することが出来たことです。
夏休みには3泊4日のサマーキャンプがありました。
私は、小3~中3まで毎年必ず参加していました。
たくさんのネイティブの家族が一緒にホテルに滞在してさまざまな活動を英語で行うというこのキャンプは、当時の私にとって覚えた英語を実際に使える年一回の貴重な機会でした。
英語を話すとその数だけリングがもらえることになっていて、1個でも多くもらおうと友達と競うようにしてネイティブに英語で話しかけていました。
英語を使うことが楽しくて、通じたことがとても嬉しかったです。
ネックレスのように長~くつなげたリングを首からさげて喜んでいた自分を今でもよく覚えています。

 

この春より、中3の息子がニッセイトにお世話になっています。
ニッセイトを選んだのも、小学校の先生になりたいと思っている息子に、使える英語力はもちろんのこと、私と同じように「話せると楽しい、通じると嬉しい」という体験して欲しいと思ったからです。

 

これまでは、ラジオ講座でリスニングの勉強はしてきました。ですが、ラジオ講座は一方通行です。ニッセイトの会話クラスでネイティブの先生と会話するようになって、今、英語を話す楽しさを感じているようです。突然家でも英語を使って私に話しかけてくることがあります(笑)。
クラスでは、「聞く・話す」だけでなく、ジャーナルという課題作文のような宿題も毎週あります。伝えたいことを一から考える力と、辞書と格闘しながらも自分で考えた文章を英語で書くことによって「読む・書く」の力も同時に鍛えられるのはとても良いことだと思います。

 

私には外国人の友達が何人かいます。
インターネットを使い海外にいる友達ともメールやSNSでやり取りをしています。
書くことの難しさはすごく感じていましたので、「ジャーナル」の学習はとても良いと思います。
息子に刺激され、40を過ぎた今、私もまた、英語の勉強を始めることにしました。

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