GRADUATE
2016/10/17

佐々木慎吾さん

佐々木慎吾

自動車関連会社経営、役員 41才

 

ここ数年ゴールデンウィークになると、友人がフランスのストラスブールから日本にやって来る。彼は31歳のフランス人。日本語は全く話せない。私もフランス語は全く話せない。二人の共通言語は英語だ。
私は彼と、かなり深い話をする。ビジネス、政治、趣味の話。時々、意思疎通に時間がかかる時もあるが、言い回しを変えると理解ができる。今や彼は親友のうちの一人である。30年前の私はまさかフランス人と親友になるなど想像もしていなかった。

 

今から約30年前、私が10歳の時である。私の家に訪問販売らしき男性がやってきた。母が話を聞くと駅前に新しくオープンした英語教室「ニッセイト」の先生であると言う。私は英語が何なのかよく分からないまま、玄関先でその先生が始めた英語カルタに興じた。動物や果物の絵とその英語名がアルファベットで書かれたシンプルなカルタだ。

 

この日を境に私は英語を勉強することの楽しさを知った。
他の習い事は、3回に1回はお腹が痛くなっていたが、ニッセイトは違った。
行けば必ず、知的好奇心をくすぐる何かが待っていた。
子供の時は、その日習った単語は一瞬にして脳に吸い込まれていった。
聞いた単語は全部覚えられた。そしてそれが楽しくて仕方がなかった。
文法の勉強も楽しかった。日本語とは全く違う文章の構成に最初は苦しんだが、この勉強は私の論理的思考を育てるのに大いに役に立った。

 

中学生になると先生が授業中に洋楽を聴かせてくれるようになった。
サイモン&ガーファンクルやビリー・ジョエル。
歌詞の意味は良く分からなかったが音楽に合わせて英語を発音することがとても楽しかった。ある時先生がWe are the worldのビデオを見せてくれた。泣きそうなほどの感動をしたことを今でもはっきり覚えている。音楽だけではなく、授業中に映画も見た。その頃からアメリカの映画がとても好きになり、30歳を目前にハリウッド映画会社の日本支社に転職した。

 

高校生になると、先生にアメリカにホームステイしてみないかと言われた。
子供の頃から全てのことに物怖じする私はその提案を最初は断った。
アメリカに1ヶ月も行き、しかも知らない人の家に泊まるなんて想像しただけでも恐ろしかった。しかし、先生の度重なる説得に気持ちが傾き1ヶ月のアメリカ行きを決心した。15歳。1987年の夏、それが私の人生を大きく変えたと断言できる。この経験は私を大きく成長させた。スイッチが入ったとか、脳が覚醒したとかそんな感じだ。

 

大学生になるとニッセイトの英語ミュージカルの大道具の手伝いに何度か行った。
そこで18歳のアメリカ人と知り合った。彼とは今でも付き合いがあるが、彼を通してアメリカの文化とアメリカ人の考え方を知るようになった。彼は後に日本でスポンジボブというアニメを流行らせ、いまはニューヨークに帰り、WWEというプロレスエンターテインメント企業のCOOというポストにいる。彼の活躍が、私のモチベーションを大いに高めてくれる。

 

私には外国人に対するアレルギーが全くない。
その特性を発揮して、これまでも様々な国の人々と楽しい思い出を作ってきた。
アメリカ人はもちろんのこと、プエルトリコ人、パラグアイ人、ロシア人、オーストラリア人、香港人、ラトビア人、スリランカ人そしてフランス人。共通言語はもちろん英語である。
上手に話す必要なんてないし、話せない。
ゆっくりで良いから自分の考えていることを英語で伝え、相手の言ってることを理解する。そして冗談を言い合い笑う。それで日本を好きになってもらえたら最高だ。
私はよく彼らを家に招いて、お互いの国の料理を作って楽しむ。
私の妻は全く英語を話せないが、一緒に料理をすることで、コミュニケーションを図る。そんな簡単なことが、人生をとても豊かにしてくれる。人生を豊かにするのに大金なんていらないのかもしれない。いい大学に入る、いい会社に入る、それも大事かもしれないが、日本に居ながら、英語を通して世界と繋がるということも、人生を豊かにするひとつの方法なのかもしれない。