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2003/04/01

2003年04月号(Vol.88)英語学習の原動力

英語学習の原動力

  –私はこうしてモノにしました

 今月はニッセイトのコーディネーターたちがどうやって英語をモノにしたのかをインタビューしました。今後の学習の参考にしてみてください。


コーディネーター・インタビュー

まず、初めに紹介するのは川越スクールの新コーディネーター龍田博子です。

あの時の悔しさが・・・

–英語との最初の出会いは?
中学です。英語という初めての科目に、ドキドキワクワクでした。しかし、中1の2学期が終わる頃には分からなくなってしまいました。そこで知り合いからある小さい英会話塾を教えてもらいそこに通い始めました。1時間はネイティブの先生と日本人の先生の英会話、その後1時間は日本人の先生による文法。それからは、英語が一番得意な科目になりました。

–高校時代の留学の思い出を聞かせてください。
高校1年の夏から1年間留学をしました。留学中は、とにかく日本の学校と比べ物にならないほど、毎日たくさんの宿題が出るので毎晩泣きながら宿題をしていました。一番大変だったのは、「国語」(米では「English」)で、週末の宿題に、「誰々の何という作品を読んで、感想を5枚以内に書いてきなさい」というのがよくでました。図書館でその分厚い本を借り、家で読み始めても分からない単語ばかり。頑張って読んでも一体何について書いてあるのかさえも分からず、泣きながら読んでいると、ホストファーザ―が助けてくれました。あらすじを少しずつ話してくれ、その文学作品のお話の背景にあるものや、歴史などを教えてくれて、「ヒロコはどう思った?」と私の意見を聞きながらレポート提出を手伝ってくれました。本当に大変でしたが、今思い出せばそれも良い経験だったと思います。

–留学に興味を持ったのはなぜですか?
私の住んでいる坂戸市はアメリカのドーサン市と姉妹都市提携を結んでいて、毎年夏に約20人が交換留学をしていました。中学1年の時にその受け入れ家庭募集のお知らせが学校から渡され、私は両親に相談して応募しました。我が家にはエイミーという女の子が来て、毎日学校に一緒に行き、私の隣で授業を受けていました。中学2年の時は自分が派遣団に応募して、アメリカに行きました。それからほとんど毎年のように今でもいろいろな国から様々な方を受け入れをしています。

–受け入れの中で苦い体験などありますか?
はい。初めての受け入れの時です。私は自分で受け入れ家庭をやりたいと言って頼んだのに、何も話せない自分が情けなくて、エイミーに対して本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。今でも思い出すと、エイミーの困った顔やつまらなそうにしている顔が思い浮かびます。その時、絶対に英語を話せるようになりたい、話せるようになってやる、と強く思いました。その悔しさが今でも私の英語に対する努力の原動力になっています。

–受け入れにはどんな配慮をしているのですか?
受け入れを初めてした頃は家族の中に英語を話せる人が1人もいなかったのでとても大変でした。そのうちに両親も英会話スクールに通い始め、妹と弟も続きました。でも英会話を習い始めたからといってすぐに話せる訳ではないので、みんなで協力してなんとかやっていたという感じでした。一番大事なことは、歓迎の気持ちだと思います。どんなことをしてあげたらその人が喜ぶか、どんなことを知りたいか、どんなところへ行きたいか、どんな料理を作ったらいいか、を家族で話し合って計画しました。最初はうまくいかなかったこともよくありましたが、最近ではみんな慣れてきて余裕を持ってできるようになったと思います。

–子供たちに学習のアドバイスを。
英語は聞いているだけでは話せるようにはならなりません。実際に自分の口で言って、自分の体で覚えるものだというのが私の考えです。一緒にがんばりましょう!


先輩のかっこよさに憧れ…

次は池袋スクールのコーディネーター、小金澤香代。

–いつから英語には興味を持ったのですか?
中1の秋、同じ中学校の2年生が群馬県甘楽郡の英語暗唱大会で入賞し、全校生徒の前で披露してくれました。そのスピーチを聞き、先輩のかっこよさに憧れました。それからです、英語を一生懸命に勉強するようになったのは・・・。

–暗唱大会に自分が出ることは?
翌年、そして翌々年、私も学校代表で選ばれました。郡大会では2年連続で1位になったんですよ。(笑)

–それはすごい。では県大会に?
はい。でも、県大会はレベルがすごく高く、入賞はできませんでした。

–家庭での英語の勉強はどんなことをやっていましたか?
あまり皆さんの参考にはなるようなことはやっていませんでした。しかし、宿題は絶対にやり、テスト勉強もがんばりました。

–高校後の進学は?

英語に興味があったので英語の専門学校に進みました。ただ、金銭的に両親に負担をかけられなかったので、特待生枠のある学校を選びました。ですから1年目は授業料免除、2年目は育英会の奨学金を得て英語の勉強を続けることができました。

–なるほど。努力家なんですね。その後は?
就職も考えましたが、どうしても留学の夢を諦めきれず、両親に相談しました。父も私の説得に押され、「どうせ行くなら、お金の許す範囲で目一杯行ってきなさい」と応援してくれました。それで、アメリカに10ヶ月間、語学留学することができました。

–留学中の滞在は?
ホームステイです。2歳の女の子のいる若い夫婦のお宅でした。とても親切にしてもらい、楽しい思い出がいっぱいできました。

–留学で学んだことは?
英語は文法ではなく、伝える気持ちが一番大切なんだということです。気持ちがあれば通じるんだな、ということを痛切に感じました。それまで、英語を聞いてある程度理解できるようになっていましたがまだ話すことに関しては自信がなく、いつも消極的だったんです。でも悔しかったのが、授業の休憩時間にドイツ人の人たちが母国語で話をしていて先生から叱られていたことです。基本的に学校内では英語しか話してはいけないのですが、日本人は無理とされ、日本語でおしゃべりをしていてもあまりとがめられませんでした。それが悔しくて私は日本人の友達ともその学校にいる間はいつも英語で会話をすることにしました。そうこうして3ヶ月くらい経った頃、英語で夢を見たんです。自分でも感動しました。この頃から、英語を話すことにも自信がついてきたように思います。

–生徒のみなさんに何かアドバイスを!
留学する機会があれば絶対お勧めします。周りの反対もあるでしょうがきっと貴重な体験ができます。英語は楽しんで学ぶことも大切ですが、間違えて恥ずかしい思いをしたり、失敗して悔しい思いをしないと上達しないと思います。がんばりましょうね。


平成14年度 第3回英検合格者

5級
傅恵奈(小3)  斎藤豪視(小4)  佐々木俊介(小5)  和田卓也(小6)

3級
田邊来夢(中1)

準2級

鈴木絵梨(高1)

2級
田中和弘(高3)

*学年表示は全て受験時です。


これって英語?

電子レンジ Electric Range?!

冷蔵庫に次いで台所になくてはならないものに電子レンジを挙げられるのではないでしょうか。さてこの『電子レンジ』、英語では何て言うのでしょう? 一般的には “microwave oven” です。マイクロ波により加熱する調理器だからです。「レンジ」は、欧米の台所にあるオーブンで、その上に4ヶぐらいのコンロが付いている “cooking range” という調理器からきています。


編集後記

You never know what you can do till you try.
(案ずるより生むが易し)

最近は留学をする人がすごく増えてきましたね。家族の元を離れて異国での生活、いろんな不安も多いことでしょう。でも、それを乗り越えてこそ大きな宝物を手にすることができます。ただ悩んでいても問題解決になりません。そんな時は思いっきり飛び込んでみましょう。ダメで元もと。でも案外うまくいっちゃうこと、多くありませんか?