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2005/11/01

2005年11月号(Vol.117)帰国子女、聞こえはいいけど・・・

帰国子女、聞こえはいいけど・・・

 「英語を話せるようにするには海外に行くのが一番!」。確かにそうかもしれません。しかし、その道は決して華々しいものではありません。先月号で紹介した松本実ちゃん(小3)、本田蔵人君(小3)も例外ではありません。二人はご両親の転勤に伴い日本人の全くいない海外の小学校に転校を余儀なくされました。今では英語での意思疎通もできるバイリンガルの卵ですが、精神的に辛い時期もあったようです。


本当にかわいそうでした・・・

 昨年の秋に入学した実ちゃんのお母さんに伺いました。

–海外にはどのくらい行っていたのですか?
年長の夏から小2の夏にかけてイギリスに2年間行っていました。小学校は日本人が一人もいませんでしたよ。

–行く前は、英語の準備はされていたのですか?
主人の転勤が決まり、「このままではいけない!」と急きょ、出発の半年前から慌てて通わせました。で、やっぱり行ってすごく苦労しました。本当にかわいそうでした。

–どのくらいで学校生活に慣れましたか?
子どもの性格にもよると思うのですが、うちの子は1年間はピリピリしていました。半年ぐらいたって少しずつ分かるようになってきたようですが、でも自信がなかったみたいで・・・。でも2年目からは急にお友だちとも馴染んで気持ちが外に向くようになりました。それからはすごく楽しんでいました。

–帰国後は、スムーズに日本の学校に戻れましたか?
いいえ。また苦労したようです。日本にはいろいろ細かいルールがあってそれがストレスになったようです。また、漢字がとても負担になってしまったようです。

–帰国後、英語教室もいろいろ探されたようですが帰国子女のための学校も見学されたのですか?
はい。でも見学したクラスは人数も十何人かいて、レベルもバラバラ。クラスの中でも日本語を話していたりして、がっかりしました。教室を決めかねている時、ニッセイトを体験。そこで驚いたのはレッスン中に日本語を使う子がいないということでした。もし日本語を使ってもすぐに先生が注意すること、レッスンのテンポの良さは素晴らしいと思いました。最終的には娘の「この教室に決めた!」で決めたのですが、私も同意見でした。

–本田さんはどちらの国に行かれていたのですか?
私たちはアイルランドのダブリンに1年行ってきました。蔵人もやはり日本人が一人もいない現地校に通いました。最初の2週間は学校で一言も話さずに過ごしたそうです。そして次の2週間は体に拒絶反応が現れ、登校拒否。でもそれから補習レッスンの甲斐もあって少しずつ学校生活に慣れていったようです。夏休み明けには突然に英語が溢れ出ていました。もうその変わりようにビックリ。寝言も一人遊びも英語になっていました。

–それまでコップに注がれていた英語が一杯になり溢れてきたのでしょう。子どもの能力のすごさを感じますね。ご自宅では何か特別にされましたか?
いいえ、特には…。夕方はすることもなく、テレビを分からなくてもジーッと見ていました(笑)。

–帰国後、苦労はありませんでしたか?
同じ学校に戻れたのでスムーズにいったようです。学校の勉強もダブリンには補習校があって毎週土曜日に国語と算数を見てもらっていました。日本に戻った時についていけないと困るという緊張感がありましたから、その時のほうが必死に漢字の勉強もしていたかもしれません。日本に帰ってからもケーブルテレビは英語音声にしてよく見ています。

–覚えた英語を忘れたくないという意識があるのですね。英語教室もたくさん探されましたか?
そう予定していたのですが、ニッセイトのクラスを見せていただいたらとても気に入ったようで、他の見学を全部キャンセルしてしまいました。お友だちや先生がとても気に入ったようです。それにニッセイトには「会話クラス」とは別に、日本人の先生が見てくださる「総合英語クラス」があるのも魅力的でした。

◆実ちゃんと蔵人くんが加わり益々英語が飛び交うようになりました。ニッセイトに通う子どもたちが仲間とこのクラスのように英語を自分の言葉として使えるようになって欲しいなと切に思います。国内で学習をしながらでも適切な学習指導と相当の学習量があれば英語は身につきます。要は英語に触れる絶対量の問題です。多くの子供たちが英語の楽しさに触れ、コミュニケーションスキルを身につけ、世界に翔いていくことを願ってやみません。

*このクラスの授業風景はニッセイトホームページ上 ( http://www.nissait.com/movie/index.html ) でビデオクリップとして見ることができます。


イギリスの思い出  松本実

・最初、先生の言っていることは全然分からなかった。でも友だちがとても優しくしてくれて嬉しかった。
・宿題は1週間にプリント1枚くらいなので日本に比べて超少ない。
・算数は超簡単。成績は一番だった。
・給食はだんぜん日本の方がおいしい。
・イギリスは冷凍食品が多く、デザートは甘すぎ!


アイルランドの思い出  本田蔵人

・授業は劇とランチ以外、いつも男女別だった。
・科学の授業は、実験をいっぱいやるのでおもしろ かった。
・初めの頃は”Hello””Yes””No” だけで友だちと会話をしていた。
・学校が終わってもやることがないのがつらかった。
・給食はパスタとピザ以外、おいしくなかった。


コーディネーターの補習レッスン始まる!

 先月号のニッセイトニュースで、「家でお子さんの英語を見て上げられない・・・」といった方のために、日本人コーディネーターが補習レッスンをします、とご案内をしましたが誤解があったようです。これはお母さま方を対象としたレッスンではなく、お子様を対象としています。どのような経緯で始まったのか、今回、池袋スクールで補習レッスンを受けている西田早希ちゃん(小1)のお母さんにお話を伺いました。


やめることも考えていました・・・

 ・・・ん? 何か変だぞ!? 何か様子がオカシイなと、感じ始めたのが今年の初め頃からでした。しかし何がどうオカシイのかもわからず、Saki もただただ楽しそうにレッスンを続けていたのでそのまま上のクラスへ行かしてしまいました。ところが、やはり無理してるのはオープンクラスで直ぐ分かりました。クラスは格段にレベルアップし、以前ほどレッスンを楽しめなくなっているようなのです。先生&コーディネーターの方に「自宅でも・・・」とアドバイスを受けても、日々忙しく、しかも英語が苦手な私にはまず、何をどう手伝ってあげたらいいのか分かりません。ただ腹立たしさとイライラがつのり、かなり意地悪な事を Sakiに言ってしまいました。しまいには止めてしまおうかな・・・?とも考えていました。でもそれは教室で自信のないSakiの姿を見たく無い!と言う親のエゴでした。随分迷いましたが、思い切ってコーディネーターの Kayoに相談しました。

 補習レッスンが始まりまだ間もないですが、だいぶ効果が現れているように思います。今までは分からないところがあっても「日本語禁止」では分からないまま「まあ、いいかー♪」で教室を後にしていたと思います。本人は「分からない所は無い!!!」と言っていましたが、多分、何が分からないのか、自分でも分からなかったのでしょう。
Sakiは、日本語を使いながら説明してくれるKayoの「補修レッスン」で随分気が楽になったようです。「日本語で聞ける」は、凄く納得出来るかもしれません。
 Kayoも終わってからきちんと私に説明してくれて、さらに褒め称えてくれて、良い気分で Sakiは帰る事が出来るので、本当に感謝しています。また、それと同時に、総合クラス担当のSatokoにもサラ~ッと勇気付けてもらいイライラしてた気持ちが消えてしまいました。有難うございます。周りのお友達も心配してくれたり、ニッセイトで良かったです☆ 

西田由利子


編集後記

A friend in need is a friend indeed. 
まさかの時の友こそ真の友

 人は支え、支えられて生きています。どうしようもなく不安な時、寂しい時、誰かがそばにいてくれるだけで勇気が湧いてきます。実ちゃん、蔵人くんが日本人の全くいない、そして言葉の通じない国で日々を過ごしていたことは想像以上のストレスだったに違いありません。でも、それを乗り越えられたのは優しい友だちの存在が大きかったのではないでしょうか。きっと英語以外にも心の大きなタカラモノを手に入れたはずです。

 ところで知ってました? 『帰国子女』の『子』=「男の子」、『女』は「女の子」を意味します。つまり帰国子女は海外から帰国した『男の子と女の子』ということ。余談でした。(^_^)