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2011/06/01

2011年06月号(Vol.179)私は、こうして英語をモノにしました        第2弾

私は、こうして英語をモノにしました

        第2弾


 今月も先月号に続き、日本人コーディネーターが、これまで英語とどのように出会い、どのように学習してきたかを聞き特集にしました。皆さんの今後の学習の参考にしていただけたらと思います。


英語ってカッコイイ!

 川越コーディネーター 真純

「カッコイイ!!」私が英語を好きになった理由です。中学生の時に出会った先生が話す英語を初めて聞いたときに、英語ってカッコイイと感じました。外国人ではなく日本人の先生でした。当時の私には、先生の発音が良いか悪いかなどわかるはずはないのですが、日本語にはない音や響き、抑揚がたくさんある英語を耳にし、ウキウキした気持ちになりました。先生は授業でもLL教室を積極的に使い、テープを通してネイティブの会話も聞かせてくれました。

私は勉強が好きなタイプではないのですが、英語に関してはなぜか家へ帰ると自ら教科書を広げ「大きな声で音読」をし、一人で”外国人ごっこ”を楽しんでいました。毎日声を出すことで上手に読めるようになり、まるで歌を歌っているような感覚で教科書を自然に覚えていきました。

ある日、先生から文化祭のスピーチコンテストに出てみないかと声をかけられ、選ばれたことが嬉しく一生懸命に練習しました。そのおかげで当日は自画自賛の出来栄え!!英語がますます好きになりました。 私は高校一年生のときに初めてアメリカのオレゴン州に短期留学をしていたのですが実を言うと、その時は全く話すことができませんでした。話すどころか自分の意思表示すらまともにできず、その時は二度と外国なんか行きたくないと思ったほどです。

しかし時が経つにつれ、やっぱり私は英語が好き、英語を使って仕事ができたらかっこいいなぁ、と思うようになりました。ボランティアというプログラムを見つけ再度留学を決めました。そこでの日本人が全くいない環境と数々のトラブル!!が英語の力をつけてくれました。近所でひとり暮らしをしている老人の家々へおしゃべりをしに突撃訪問もしました。このように体をつかって身に着けてきたのが私の英語です。人それぞれ英語を学ぶ方法はあると思いますが、きっかけは何でも英語を好きになること。大きな声での音読と単語力を少しづつでも増やすこと。そしてあたって砕けろの度胸。が私の英語を磨いてくれました。英語は言葉です。伝えたいという気持ち、知りたいという気持ち、そして少しの度胸があれば十分です。大きな声でたくさん英語を使って一緒に頑張っていきましょう。


先生に言われた学習方法を忠実に

池袋コーディネーター じゅん

私は、大学卒業後、美容材料の営業職をやっていました。ある時、雑誌で、児童英語教育の特集に目が留まりました。その瞬間、「私がやりたいことはこれだ!」と稲妻が走りました。その後、転職を決意し、J-Shine(小学校英語指導者)の資格を取りました。縁あってニッセイトで働くことになりはや3年目です。

英語は、中学入学前の休みに1週間ほど母の知人に英語を教えてもらったことがありましたが、それ以前に映画や音楽のほかに、私の生活には「英語」は全くありませんでした。

人前で話すことがとても苦手な私ですが、なぜか英語の授業のときだけは手を挙げて発言することができました。きっと先生との出逢いが大きかったのではないかと思います。そのため、中学以降の好きな教科は迷わず「英語」と答えていました。

中3の時の先生は、とても怖い白髪のおじいちゃんでした。この先生は「単語を調べるときは、発音記号を一緒に覚えなさい。」と言っていました。その日から私は辞書に書かれている発音記号の説明を読み、声を出して練習しました。

高校では1年生の時、両親にお願いしてアメリカ、ミシガン州にホームステイをしました。その時の先生には、行く前に耳慣れするだけでも違うということで在日米軍向けのラジオ局FEN(当時)を聞くように言われ、全く分からないのに毎日聞いていました。ホストファミリーには幼稚園と小学校に通う男の子が3人いて、とても賑やかな家庭でした。ホストマザーは娘が欲しかったらしく、私を実の娘のように本当によくしてくれました。毎日何をするにも辞書を手放せなく、殆どキャッチボールになっていない会話でしたが、それでも、素晴らしいホストファミリーのお陰で楽しく過ごすことができました。大学では留学もしたかったのですが、両親から「これ以上ムリ!」とバッサリ(涙)。その後は、趣味として映画、洋楽を通して英語を勉強していました。

勉強はノートとペンがあればできますが、会話は声を出さないと先に進めません。ニッセイトに通ってくれている皆にも、毎回元気に大きな声で先生と話をしてもらいたいです!


きっかけは一冊の絵本

池袋コーディネーター やすは

私が最初に英語に触れたのは、小学4年生の時でした。父からプレゼントされた1冊の本とカセットテープ。それは、『眠れる森の美女』でした。全く英語を勉強したこともない私に無謀とも思えるプレゼント(?!)。でも珍しモノ好きの私は興味を持ちました。何回も何回もテープを聞いては本を読み、物語を暗記して声に出して言えるまで練習しました。それが、私と英語との出会いです。

海外に行ってみたい!と言う思いが高まったのは大学生の時でした。なるべくお金のかからない方法を探しました。考え抜いた行先は、フィリピンです。この話を両親にした時は、「何でフィリピン??」と言われましたが、フィリピンは元々イギリス領だったので発音の訛りもあまりありません。留学費用は、大学の授業料が特待生として免除されたので、その学費をまわしました。1人でフィリピンへ飛び、夏休みの1ヶ月間その土地に住み、語学学校に通いました。もちろん周りに知る人は居ません。何が何でも英語を話さなければいけない、そんな状況でした。

また、大学在学中、書店で「世界の衣食住」という図鑑を目にしました。とても高価な図鑑で買えません。それなら自分で写真を撮ろうという安易な気持ちから写真を勉強してみたくなりました。卒業が迫るにつれ、写真を通して世界を見てみたいという気持ちが高まってきて、どうせなら海外で勉強しようと思い、オーストラリアにある大学の芸術科に2年半留学することにしました。様々な国の人と出会い、文化の違いを肌で感じ、失敗を繰り返しながらも素晴らしい友達に巡り会う事が出来ました。まさにフィリピンやオーストラリアでの留学経験は私の財産です。「間違いや失敗なんて気にしない。英語で伝える事こそが大切なんだ」と学べた事は、自分にとって大きな変化です。

英語が好きになれば、英語を使って話したくなる。英語で人と会話が出来れば、もっと楽しくなり英語がまた好きになる。その繰り返しが、英語を上達させる方法だと私は思います。


■2008年に海外の大学などに留学した日本人の数は 6万6833人、ピークは、2004年の 8万2945人とのことです。1980年代に日本人の海外留学生数は1万人台だったそうですから、この30年間で6倍にも急増していることになります。

ニッセイトで働くコーディネーターや講師も多くが留学やホームステイを体験しています。英語を勉強していなければ、得られなかったであろう貴重な体験、出会いがあったはずです。私たちは、子供たちに「英語を勉強していくと、こんなに楽しいことがあるよ、世界のいろいろな国の人たちとお話ができ、これまで知らなかったことをたくさん学べるよ。いろんな考え方に触れられ人生の視野がすごく広がるよ。とっても素敵なことがこれから待っているよ」といったことを英語の学習を通して伝えていけたらと願っています。


編集後記

Fortune favors the brave. (幸運は勇敢さを好む)

ニッセイトの在校生も、留学をしたいと考える生徒さんが増えてきました。初めての見知らぬ国への一人留学。それはもう心臓ドキドキ。恐怖心と同時に好奇心が複雑に混ざり合った心境ではないでしょうか。「幸運は勇敢さを好む」という諺通り、宝物は危険を冒さないと手に入らないものです。好奇心が恐怖心に勝った時、人は一歩を踏み出せるのかもしれません。そんな一歩を踏み出せるよう、私たちは子供たちの好奇心を育てていけたらと思います。