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1996/12/01

1996年12月号(Vol.24) 思いっきり自己表現     創造性を育む演劇活動


 

 思いっきり自己表現
     創造性を育む演劇活動

 アメリカやイギリスの学校では、教育にドラマを取り入れた活動が盛んに行われています。それは、発表を前提としたものではなく、「クリエイティブ・ドラマ」という指導テクニックとして、あらゆる教科を興味深くするために活用されています。今月号では、ドラマ活動の教育効果について考えてみたいと思います。


 

クリエイティブ・ドラマって何?

「クリエイティブ・ドラマ(創造的な演劇活動)」とは、教師と子供たちが一緒に演劇的な遊びや活動を体験することで、子ども達の創造性を伸ばし、人間的成長を目指そうとするものです。一般の演劇活動との一番大きな違いは、観客に見せることを最終目標にしていないことです。というのも、発表を最終目標にした場合、芸術的完成度が追求されるあまり、子ども達の可能性を引き出すよりも演出家(教師)の押し付けが優先される危険性があるからです。だから、観客の目を意識しないで、その時、その場で、どう表現したいのかという欲求に重点を置いているのです。


 

クリエイティブ・ドラマの目的

日本では、佐野正之先生が『教室にドラマを』などの著書でクリエイティブ・ドラマを紹介しています。その具体的な活動内容としては、劇遊び、リズミック・ムーブメント、パントマイム、即興劇、人形劇などがあります。先生は、その目的をクリエイティブ・ドラマの創始者と言われるウィニフレッド・ウオード教授の言葉を借りて以下のように述べています。

      1)ふさわしいはけ口を与えることによって、子どもの感情を建設的な方向に育てる。

 

      2)自己表現の方法をドラマやダンスによって与える。

 

      3)クリエイティブな想像力を伸ばす。

 

      4)他人の思考や感情を理解し同情することから社会性を養う。

 

      5)自分で考え、自分で表現する体験を与え、その能力を伸ばす。

 

アメリカで、このクリエイティブ・ドラマが浸透し始めたのが1930年代です。こういった発想が教育の現場で生まれてきたのには、やはりそれなりの時代の要請があったように思われます。つまり、高度成長の中で、子ども達が、何か大切なものを失いかけているといった危機感です。政治や経済など社会状況は異なりますが、今の日本でも子ども達はかけがえのないものを失いつつあるように見えます。詰め込み主義の受験戦争、核家族化、兄弟の減少、テレビ・ゲームが中心になりつつある遊び方などなど、「体験」が非常に希薄になってきているのです。これらが原因の一つとは断定できませんが、今まではあまり見られなかった凶悪犯罪、陰湿ないじめ問題、動物虐待などの事件がニュースに登場するようになりました。これらの事件の背景には、加害者の「心の不健康」が見え隠れしているような気がします。


 

ニッセイトの目指す英語教育

ワシントン大学演劇学部の名誉教授であるシックス教授は、1977年に出版した著書の中で、「教育におけるドラマの究極の目的は子ども達の心を開き、想像力や言語能力を刺激し、人間的成長をうながし、発見に対する熱意を絶えずかきたてることである。言いかえればドラマは、子どもが自分自身と世界を知りながら成長してゆく手助けをするものである。」と述べています。現代のとかく「体験」の乏しくなりがちで、いつ心が不健康になるかもしれない社会にいる子ども達には、非常に有効なアプローチだと言えるでしょう。
ニッセイトがドラマの導入を行っているのも単に発表会を主眼においているのではなく、その過程でクリエイティブ・ドラマに見られるような教育効果を期待しているからです。豊かなコミュニケーションは、豊かな人間形成の上に成り立ちます。決して技術面だけではありません。自分を表現し、相手を受け入れ、ともに理解を深めていく努力が必要なのです。ニッセイトは、英語教育を通して豊かなコミュニケーション能力を育むお手伝いをしていきたいと考えています。


 

HALLOWEEN COSTUME CONTEST ’96
Congratulations!

Ikebukuro School
The Best Costume  The Most Creative The cutest   The scariest
                          
 Kimiko (小5)   Syuuji (小5)    Noe (年少)   Kouhei (小3)         

Kawagoe School
The Best Costume  The Most Creative The cutest   The scariest
                          
 Naruki (年長)    Ryoui (年中)    Megumi (小1)  Takahiro (小3)        


 

環境まいとーく

もう、四、五年前のこと、今ほどリサイクルが”ブーム”(?)になっていなかった頃のことです。私はあるきっかけで、牛乳パックのリサイクルを始めました。ものぐさで、行動を起こすことが苦手な私にしては、一種の大革命だったのです。洗って乾かし、口を開いて、ハサミで切り開く。ついついためてしまって大作業になっても、めげずに続けていました。周囲の人たちにその話をしたら、「本当はそうすればいいんだけどね」という程度で話は終わり。こんな程度で本当に意味があるのだろうかと思い始めていました。
そうこうして、久しぶりに田舎に帰り、のんびりと過ごしていたある日のこと、「あんた暇だったら、これやってよ!」そう言って母が出してきたものは、大量の空の牛乳パックとハサミでした。そうそう、これ結構面倒なんだよねーと思いながらも、何かとても嬉しい気持ちになっていました。「そうすればいいんだけどね」と言うだけだった母が、リサイクルを始めていたのです。また、母以外にも私の友人の一人が、牛乳パックのリサイクルを始めていたことを知りました。私の話が直接のきっかけではないかもしれないけれど、十数人の中の私一人だったことが、三人になった。その素朴な数字の増加が、私にはとても大きなことのように感じられました。
「私一人くらい」といった安易な態度が、ゴミ処理場を溢れさせている今、逆の発想で、「私一人でもいいから」実行することが、大きな意味を持つのだと思いました。

本部スタッフ 田原 郁子


 

編集後記

私たちは目の見えない人たちの大変さを想像することはできても、実感することは大変困難なことです。実際にアイマスクなどをして、街中を歩くという「体験」をすると、目が見えないということがいかに大変か、そのほんの一端でも感じられるものです。相手の立場を理解するということは、とても難しいことですが、それでも、相手の立場に身を置いて考えてみる、体験してみるなどの努力を私たちは必要としています。そんな努力の積み重ねがあってはじめて、豊かなコミュニケーションが生まれてくるのだと思います。


★『環境まいとーく』『今月のへぇ~』の原稿を募集しています。お気軽にご投稿ください。お待ちしています。